marutetsukitachiba2のブログ

知的障害者に関わる人へのメッセージ

少し思うこと②

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こんばんは。

ブログを立てた目的とは離れるかもしれませんが、福祉を考える上では繋がっていると思いますので、この第2ブログで思うことを書かせていただきます。

 

2つの事柄について。

一つは、神戸市須磨区に計画されていた、看取りの家、余生の最期のときを過ごせる場が計画されていたのですが、近隣住民から、「日常の生活で、死を見たくない」と反対され、計画が中止された件。

もう一件は阪急電車の中吊り広告で、乗客を励ます為のメッセージが、炎上した件です。

「毎月50万もらって、毎日生きがいのない生活を送るか、30万だけど仕事に行くのが楽しみで仕方がないという生活とどちらが良いか」という文面で80代研究職の方が投書したものが掲載されたとのことでした。

文面が違っていたらすみません。

看取りの家は、ホスピスの方が名前が通っているでしょう。人生最後の時をできるだけ家庭に近い環境で看取る、そんな意味があったと思います。

とても良い試みだと思います。

ただ「日常的な場所で、死を見るのが嫌だ」と反対されてしまう。

私はこの言葉が、今の国の現状を考える上で、象徴的な一言だと思います。

「死を見たくない」

たったそれだけの理由で看取りの家が反対される。

なんでしょうか、この何の意味もない一言。

そして、ご高齢の方が書いたのか真相は

分かりませんが、働く世代の現状から掛け離れた50万、30万の数字。

そんなにもらってないよ!

そう、年金を負担する為に。

今まで、さすがにそこまで言うのは・・

と、思っていることを言わなかったのですが、さすがにここまでセンスがないと

現役世代の怒りを買うでしょう。

当然だと思います。額面は高くても、

年金負担分が負担が高すぎるのです。

 

この2つの事柄を結びつけて考えてみました。そうすると、問題はかなり深刻です。

年々膨れ上がるばかりの年金、医療の負担があります。

そして、それを当たり前のように病院に行く高齢者。

看取りの家は嫌だ。死を連想させるから。

みんな、死ぬんだよ?

死を見たくない、死を避けるばかりに

必要のない延命がされ、高額な負担を現役世代が担い、もう息が切れていると思います。

 

これはもう限界でしょう。

もう、若い世代に必要以上の負担をかけてはいけない。

結婚や子育てをする充分な収入を得られず、負担分ばかりが多いのです。

みんな、いつかは死を迎えるのです。

だったら、それが次の世代の負担になるのなら、できるだけそれを減らしましょう。

チューブを沢山つけて、延命されたって、しょうがないじゃないですか。

せめて、平均寿命を迎えることで、それを目安にしましょう。

そして、引退したのなら、ちょっとやそっとで、病院にはいかない。

高齢者にも、応分の医療負担をかけて良いでしょう。

病院に行き過ぎです。

医療費、かかり過ぎです。

死を見たくない為に、延命がされ、更に医療費がかかり、若い世代の負担が増しているのです。

こんな制度で、誰が子育てしたい?

 

もう支える側の悲鳴が聞こえる。

それに高齢者が気づいていない。

高齢者の運転事故が殊更非難されるのは、若い世代がその思いを隠さなくなったから。

 

だから、一人一人がしっかり死を受け入れること。

死を日常の生活に入れること。

延命を止めること。

これから子育てをする世代の年金負担を

出来るだけ減らすこと。

これは、日本以外の国ではむしろ常識なのです。

日常的に死を見ることがあり、家で死を迎える。

むしろ自然で、余計な延命も無ければ、若い世代に負担をかけることもない。

日本だって、ちょっと前まで死を日常の生活に入れていたのです。

 

一人一人が死ぬことをしっかりと受け止める。

難しくないです。

葉っぱのフレディを読めば良いでしょう。

世代間のあつれきがこれ以上高まらないように思いますが、日本が他の国と同じようになるには、問題が深刻に受け止められるようになるには、一時的にあつれきが取り上げられるのは、止めようがない。

みんなで考えるには、今回のように論議されるには悪くはないのでしょう。

しっかり死ぬこと。

後の世代に負担をかけないこと。

それは難しくはないように思います。

少し思うこと

こんばんは。 しっかりと梅雨入りし、低い空に雲がどんよりと覆っています。 うっとうしいですが、暑さが続くと雨が欲しくなるのですから、やはりどう捉えるかで毎日の景色は変わってきますね。 雨を止める訳ではなく、雨を少し好きになることはできるのかも。

紫陽花は雨の下でないと、その美しさは味わえないでしょう。

さて、雨や紫陽花ではなく、登戸の件と練馬の件、及びそれに対する報道や高齢者の免許の所持についてなどについて感じたことです。

様々な立場からコメントは出て、やや過剰な気もします。 悲しい事件は細かく検証や分析がされるのですが、抑止力につながっていないようにも思え、ひたすら無力さともどかしさを感じます。

私は3つのことを思いました。

①一つ目は、報道のあり方について思いました。 加害者のことを報道すると加害者寄りの報道をするなと言い、被害者のことを報道すると、加害者にも考える面もあると、どうも事件が起こると、どちらかの側に立つべきかのような世の風潮。

どちらにも立てません。そして、どちらかの側に立とうとも、それぞれの置かれた状況を推測することもできません。

被害に遭われた人の悲惨さを思い、また加害者となった側の追い詰められた状況を思います。

失われた命は戻りませんが、少しでも後の抑止力となるように検証はされることが良いとは思います。

それにしても、言葉の使い方がよく言われるようになりましたが、それが進むのとは裏腹に、返って、人にレッテルを貼る風潮が強まっているように思います。 『子ども部屋おじさん』なんて、もし自分がそれを言われる立場になったら、 言い始めた人は何を思うのでしょう。 思いやりを持たない言葉の横行が、社会を生き辛くさせていることを真面目に考えた方が良いでしょう。

② 2つ目は、どうしてか、様々な問題が『家族』で解決するようなお国柄の問題。それこそ問題です。 『家族』は全てを解決なんてできないし、できなくても良い。 『家族』の中に他者が入ることに強い抵抗はあるかもしれませんが、『家族』という蓋を閉めてしまい、問題をひたすら家の中に閉じ込めているように思います。 もう、『家族』だけで解決できることの限界を遥かに超えています。 そして、何故か『血のつながり』がより硬直化されているように思います。

『家族』だけに問題を抱えさせてしまうことを考えていかないと、もう限界のような思いがします。 ただ、『家族』をひたすら人目を気にして美化しすぎてしまうことはもうやめても良いでしょう。

『家族』よりも一回り大きな単位の視点で物事を考えていかないと問題が進まない。 共同体、コミュニティ、自治会、何がそれになるかはどれでも良いでしょう。 少しずつでも、『家族』の中に様々な問題を入れ、蓋を閉めてしまった状況を変化させていく方向に持っていくことでしょう。

③3つ目はやはり『家族』の影響が大きいので、サザエさんではありませんが、 もはや幻影にも思えるような家族の在りようをテレビに流し続けるのか? 現実にサザエさんのように暮らしている家族なんていません。 だから不幸でもなんでもなく、もっと色々な家族の在り方で良い。 今ある家族の在り方で良いのです。

私たちは家系図を守る為に生きているわけではなし、家族の構成が血が繋がっていようがいまいが、そこだけに焦点を当てるのではなく、養子だったり婿であったり、色々な家族の形があって良いのではないか?多様な形があって、より懐の深い家族ができるように思います。

最後に思うのが、私が47年間生きてこれたのは、家族、実家の父母兄弟の支え、そして義兄、義姉などの支えもあり、生きていけたのだと思います。

励ましの言葉を多く受けて今まで生きてこれたのでしょう。 私は充分に暖かい言葉を受けてこれました。 ただ、そうではなく、孤独感を強く感じ、孤独を強く感じている人が多くいるのではないか。

これからできることは何でしょう? やはり地域が問題を考えられるように、地域で少しずつ人と人の繋がりを繋げていくこと、孤独感を強く感じている人への訪問をするなど、できることから始めていくことでしょう。

何もかも『家族』で解決しなくても良いのでは?様々なメンバーがいて、その形は様々で良い。 地域の助けを受け、自分も他者に支援する。 『家族』の中に支援者が入ることができるように。 まずはそこから。周囲との声かけをし、孤独な人への声かけをしていく。

そう、まずは『家族』で完結せずに、使えるサービスは使ってください!

『家族』ではなく、地域社会で子育てや介護、孤独の問題を考えていく。 そのようになるには地域でそのような社会を作っていかなくてはいけません。

ただ、付き合いだけの会ではなく、地域全体で問題解決する力をつけることは これからでは時間はかかる道ではありますが、できることから、少しずつでも前を見て進めて行きましょう!

『家族』ではなく『地域社会』がその問題解決の力をつけるように。地域のことは地域社会で考えられるようになると良いでしょう。

難しいかもですが、スモールステップを一段ずつ登りましょう!

亡くなられた人の冥福をお祈りいたします。 少しでも前を向ける社会が築けますように。

業務としてのコミュニケーション

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こんばんは。第2ブログを始めた為、頭が少し忙しく?なってきました。

とはいえ、正直言えば、面と向かってお話出来た方がよっぽど良いですね。

寂しい中年のおじさんが、スマホ片手に渋い顔をして、親指一本で打ち込んでいるなんて、冴えないったらない。

今出来ることはスマホ片手に出来ることなので、お付き合いください。

福祉施設の現場は日本に多々あることでしょうが、その数だけ、難しさを感じている現場はあるのでしょうね。

 

例えば、私は21年目の職員ですが、前からいた職場で日常の業務、行事の準備などに不安は感じません。

一通りやってしまったので、それについては目新しくないのです。

ただ、新卒の方、移動で変わった方、久しぶりに戻った方は現場に入って、ドキドキ感があると思います。

当然です。上手くいった状況がまだ目に浮かばないからですね。

だけど慣れた人はそれを忘れてしまい、サッと打ち合わせを終えてしまう。

そこで、上記に書いた経験の差があると、先行きの読めなさによる、妙な足並みの揃わない状況が発生します。

えっ、そんなことを言ってたら切りがないでしょ!

そうかも知れない。ただ、そんな要因もあるということです。

オーケストラの話で、指揮者(仕切る人)

の大切さを書きました。

今日は、

①例えばある行事の準備に入るときは、

その行事の目的、目標を明確にしよう。

②どのような結果を出せばOKなのか、

まだ経験が浅い人には具体的に(どんなことができれば良いのか)を伝えてください。

③上記のことがいまいちイメージ出来ないのであれば、そう、サッカーの試合に勝つには?を思い浮かべてください!

①何事も目標、目的はありますが、その業務にどんな理由があり、何を達成しようとしているのかを、分かりやすく説明してください。

ここは、サッカーで言えば、ルールやゲームの勝敗について語るのと一緒です。

何を達成すれば、そのゲームに勝つの?

シュートをゴールに入れることですよね。

 

例題  

保護者との懇談会には、何の為に行うのでしょう?

どんな成果を上げれば良いのでしょうか。

 

解答

初めてそれを仕切るのであれば、施設側から伝える内容を伝え、一通り議題をこなせばそれで良いのです。

懇談会であれば、保護者の方々と交流を深めることができればそれが何よりです!

 

これは②の具体的なイメージを持つことの例でしょうか。

③毎日同じような業務を行っていると、

経験差から発生する温度差が生じます。

毎年同じようなことをしているので、

つい目的や目標が忘れられます。

だから足並みが乱れるのです。

だけど、どんなスポーツでも、ベテラン、新人、助っ人など、色々な人がいます。何故、上手くチームとして成立しているのでしょう?

勝つためにはどうしたら良いのか、徹底しているからでしょう。経験差は様々ですが、チームとして、勝つと言う目的、目標が明確だからです。

雰囲気の良い現場、スタッフで働きたいと思っている人は多いと思います。

いや、そんなことを言うのもはばかられると言うキツい環境で働かれている方もいらっしゃるでしょう。

ただ、福祉の現場の中でも、変えられるところはきっとあると思います。

 

誰かが変えてくれるのを待つのではなく、少しでも、同じようなことを思っている人同士で、語ることを始めてみませんか?

 

追伸  

私の職場のパソコンから、プリンタドライバが一つ消えてしまいました。

直せる方、どうぞ声をかけてください!

 

 

 

出席者数をきちんと数えること。

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こんにちは😃

このブログは書くのが難しい!

書いていることが当たり前のことだから。

そう、日々の施設の業務は決まっています。

職員が自信を持って業務を行う為には、

業務の中で抑えて置く約束事を抑えることです。

例えば、今日の利用者の登園者の数。

ボード上にしっかり表示されていますか?

磁力が無くなり、ボードから落ちていることがありますよ。

そこから、例えば歩行に出る人はトータルで全員表示されていますか?

など、数でしっかり抑えていく。

一つ一つ、確認する習慣をつけると、安心できますね。

難しいのは、それを全員に浸透できるか?

どうも、成り行きに任せることを多く見るような・・

根拠のあるもので支援を固めていきましょう!

①今日の利用者数。

②ボードに全員表示されている?

③出席者数=連絡帳の数=カバンの数ですね。ただ、数がわかっていればミスは

ありません。

送迎利用も数ですね。

まず自分のやっていることに不安があったら、抑えるべきは出席者数です。

目の前に全員いますか?

数える習慣を自分につけましょう!

 

支援を固めていくのは、確実なことを積み重ねていくこと。

成り行き任せから、確認を取る支援へ変えていきましょう!

 

暑い日が続きますが体調に気をつけて支援してください。

 

 

オーケストラの続き ミーティングの重要性

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こんばんは。第二ブログを覗いていただきありがとうございます。

さて、先日、福祉施設をオーケストラの演奏に例えてみました。

もうちょっと続けます。

オーケストラを作るには、それぞれの楽器のパートで、個々の音を合わせるところから始めますね。

すなわち、これが一つの小グループにあたります。各施設の一部屋、一グループです。

まずここから音を合わせるのですが、

グループの中でしっかりコミュニケーションを取りましょう!

朝、グループ内で一日の始めに、ミーティングをしていますか?

全員で日課ごとの役割を確認していますか?

これはいる人全員でやった方が良いです。

天候により、注意事項も変わります。

注意事項の確認、日課ごとの役割の確認、そしてグループの目標の確認など、

確認事項、共有事項は沢山あります。

ただ残念なことに、そういった初歩的なことを経験年数が長いと、だんだんと端折りたくなり、一部の人が配置を組み始めます。

 

ここで考えて下さい。

どうすればオーケストラの演奏がレベルが上がっていくのか?

サッカーのフォーメーションが成立するのか?

 

練習はもちろん、楽器やボールを持たないで、ミーティングをしていると思います。しっかりコミュニケーションを取った上で、練習に入ることでしょう。

施設はしっかりと朝、ミーティングをした上で一日を始めるのです。

何年かに一度、福祉施設では車に利用者の置き忘れで熱中症で亡くなります。

どうしてか。

その日の出席人数を把握していないから。

私は出欠確認を施設全体でしっかり取ろうと声を上げたことがありますが、

何でそんなことを言うの?との顔をされました。

それはともかく、出席人数は大事です。

その数をグループ職員がしっかり頭に入れるから、漏れがなくなるのです。

そういう確認事項を共有することを施設全体に行き渡らせるために、ミーティングは大切なのです。

事故が起きるたびに思うのですが、

この分野は小さなことを端折らないことが大事なのです。

 

もし、皆さんが現状を変えたいと思うのなら、

①職員同士のコミュニケーションを取る

②朝のミーティングの重要性

③出席者などの基本的なことをしっかりと確認すること

④夕方グループ内で振り返りをするとなお良い

 

さて、ベテランになるほど端折りたくなる気持ちは強まります。

経験年数が経つとそう思うようになりがちですが、皆さん、オーケストラやサッカーを思い出して下さい!

基本的なことを端折ってしまったら、チームは弱小化します。

皆さん、レベルを上げたくありませんか?

それは、小さなことの積み重ねです。

 

知的障害者施設で働き始めた皆さんへ

 

自己紹介に代えて

 

こんにちは。私はまるてつ北千葉と申します。

私は20年、知的障害を持つ方たちが通う通所施設の支援員として働き、21年目にセクションが変わってすぐ、数ヶ月で病に罹り、今は休職し復帰に向けての日々を送っています。

20年間、支援員又は指導員と、職場及び業務内容は同じだったのですが、皆さんご存知の通り、施設を定義する法律が何度か変わったことにより、施設の種別やサービスの名称が大きく変化し、指導から支援へ、と職員のあり方も時代と共に変わってきました。

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全然、何も変わっていないじゃないか?

と思う人もいるでしょう。

それも、施設のあり方があまり変わっていない、という面ではそうかもしれません。

ただ、指導から支援、提供するものに対してサービスと言う名称が使われ、より利用者主体のものへと、言葉や定義が変化したことや、時代の流れ、外部環境の変化を受け、知的障害者福祉のあり方も少しずつ変わっていると思います。

 

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さて、私まるてつ北千葉はもう現場で働くことは出来ない身体となりました。

1年前まで、情緒が落ち着かない利用者と丸一日、川沿いのただただ広い田んぼ道を共に歩き続けた日も鮮明に覚えています。

もう身体は動かなくなりましたが、19年知的の方、特に自閉の方との関わり、

年季が長くなってからは後輩の指導で思うことも多々ありました。

実習生の指導にも関わりました。

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長くなりましたが、今回はそんな自己紹介をさせていただき、これから新年度が始まるタイミングで、フレッシャーズの支援員さんが少しでも参考になればと、ちょっとしたトピックを書き始めたいと思います。

私は教科書的な内容は書くつもりはありません。

ただ、福祉の現場では共通のマニュアル的なものもなかなか書かれていないような気がします。

現場で感じた、まだ言葉になっていないような事柄について、これから短い文章を少しずつ書き始めたいと思います。

 

よろしくお願いします。

まるてつ北千葉